学生コラム

障がい者の「差別」について

私の両親は支援学校の職員である。まだ私が小さい頃、父の仕事場である支援学校(当時は養護学校)に遊びに行く事がよくあり、家でも父の生徒の話を聞くことがあった。

その影響か、障がいのある人への抵抗はほとんどなく、困っていると思ったらためらわずに手を貸す事ができている。私はこれまで障がい者を差別視していないと思っていた。

しかし最近、NHKで放送されている「バリバラ」という番組で自己表現を楽しんでいる障がい者や、ゼミで知った1人で生活している障がい者を見て違和感を覚え始めた。

今まで私がしてきた手助けは、本当に必要だったのか?と。もしかすると、今まで私が手助けした人は、表向きは「ありがとう」と言っていても、心の中では「これくらい自分でできるのに…」「何もしないでいて欲しかった」と思っていたかもしれない。

私は差別していないつもりでも、それこそ、障がいのある方々は「差別されている」と感じるきっかけになるのかもしれない。

このように気持ちの行き違いが起こらないようにするには、助けを求める側と手を貸す側の思いが一致することが大事であると思う。まず、手を貸す側である私たちは、誰がどの場面でどのような手助けを求めているのかを理解しなければならない。

しかし、普段から付き合いがあるわけでもない初対面の人の場合、何を求めているのか読み取るのは相当難しいだろう。私たちが何をするべきなのか知るためには、障がいのある人々もまた、あらゆる手段で「こうしてほしい」と意思表示できるようにならなければならない。

そのためには、まだ外に出ることがなかなか出来ていない障がい者が自ら社会進出するようになり、助けが必要な時に「助けて」と発言出来るようになる必要があると思う。そして私たちは、その後押しのために、助けを求める障がい者が発言しやすい環境・雰囲気を常につくっておかなければならないとも思う。

理想はいくらでも出てくるが、実際に具体的なことはまだ何も見えていない。本当の意味で「障がい者の差別を無くす」ための策は、ゼミの活動の中で直に障害のある方々とふれあいながら、これからじっくり考えていきたいと思う。